なんでもいいよ、と女性に言われた時に、それが地雷であることは、皆さん周知の事実なんだと思います。なんでもいいというのは、即ちあってもなくても良いほどどうでも良い、という意味ではなく、良きにはからえということですね。良きにはからえ、つまり文字通り、良く、あるべきなのです。

これはそのままビジネスの世界でも同じなんだと思います。曲がりなりにも社会人とカテゴライズされる立場に長年身を置いておりますと、あ、一緒だな、という場面によく出くわします。じゃ、ここの部分は◯◯さんにお任せしちゃいます、フリースタイルで、うまいことやっといて、等といった言い回しを聞いたら注意が必要です。それなりの結果を求められていることを忘れないようにしましょう。

最初からコンセプトみたいなのが固まっている相手なら良いと思うんですよね。今日はサンドイッチが食べたいと言ってくれれば、知っているうまいサンドイッチ屋、近くにあるサンドイッチ屋を検索、最悪いやもしかしたらベストなサブウェイ。そういった思考にも及ぼうものなのですが、今日は雨が降っている、では家で何か出前でも取るか、いや出前ではなくて手作りの方が良いか、重たいか、ではコンビニ、軽すぎる、ラーメン、いや、蕎麦、ではないか。

ここにこういった淡々とした話をなんとなく書くにあたって、なんか文章を書いてくださいよ、と最初に打診された際にも、やはりこのアンテナが反応していました。これは、恐らく、なんか素敵な文章を書いてくださいよ、という意味なのかもしれない。いや素敵過ぎる感じは良くなくて、さり気なさを演出、いやそれすら臭うか。日記のような、しかし徒然なるままな感じも微妙。というか好きじゃない。わずか0.5秒の高速処理を軽々こなす我が脳髄の演算能力。

しかし、よくよく話を聞いてみると、どうやら本当にどうでも良さそうでした。何か文字の羅列があれば良いぐらいの話。写真だけではなくてテキストを載せたいという思いのみ。言い過ぎかもしれないが、しかし確かに、何度も推敲を重ねて捻出された文章は確かに美しいかもしれないが、垂れ流すことの重要性。流れの中にどこか引っかかる箇所があるのだとすれば、それは周囲の流れがあったこそだ。きっとそうだ。

もはやそう言い聞かせて、これを書いています。書いているのですが、今日は今から家族でインドカレー屋に行く約束があるため、そろそろ家を出なくてはならないので失礼。